家事歴だけは大御所級

これまで
「主婦って何なのだろう」
をなんとなく考えていく中で。

私はこれまでいったい
何年くらい家事をしてきたのだろう。

思い返してみると、かなり長い。

小学校低学年から家のことを少しずつ
やってきた。
両親が働いていたからどうしても
家のことまでは手が回りにくい。
今のように便利家電もそんなには
なかった、昭和50年代。

洗濯機を回して干す、畳むところから
少しずつ。
買い物や料理も気がついたら
やるようになった。

高学年になると
学校へ行く前にきょうだいの保育園へ
自転車で送って行ったり
そのきょうだいの中学だか高校の何かの
説明会に親の代わりに出席なんてことも。
長子だったこともあって、
いつの間にか「私がやる」が増えていった。

「私たちの生活をあなたが回して」
そんなメッセージを
無理くり受け取らされていたのかもしれない。

今ならば、「ヤングケアラー」という言葉が
当てはまるかもしれない。

ただ。
家事そのものを覚えたことが
悪かったとは思っていない。

家事は一生もののスキルだ。


家事をしないまま大人になるより、
自分の生活を自分で回す力を
身につけることは、
ただただ机上の学習をこなすより
むしろ大切だと思う。

でも
家事を覚えること

家事を背負わされること」は全く違う。

本人の意思より家事が優先されるような
状況は、どう考えてもおかしい。

親側の事情があったにせよ
「あれは仕方なかった」
と全部飲み込む必要もないと
振り返っている。


大人になった私は結婚して、子供が生まれて。

気がつけば今度は、「家族のため」に
家事をする人になっていた。

「家族のためにやって当然」
とも思っていたし
「自分がやるもの」
と責務のようにも感じていた。

20年以上の月日が流れ、
子育ては終わってしまった。

子供が巣立ってしまった今も
家事は、量こそかなり減ったけど
汚い部屋は嫌だし
洗濯物は溜めるのが嫌だし
ごはんは手の込んだものは
作らず、割と自炊。



家事ができる。
家事をする。
家事を引き受ける。



この3つは、似ているようで、
実は違う意味合いなんだよな。


ただ『私がやらなきゃ』
まで引き受けるのは、
もうそろそろ定年でいい。

家事の定年ではない。
「家事をする人」という役割を、

やらされることからの定年。
もう、「やらされる」のは
勘弁してくれよ、なのだ。

あ。
家事歴は長いけど、
さしてうまくもなんともない。


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